近江大津宮錦織遺跡第四地点は、
京阪 石山坂本線 近江神宮前駅のすぐ横にあります。
錦織は、「にしごうり」と読みます。
史跡「近江大津宮錦織遺跡(おうみ おおつのみや にしこうり いせき)」
遺跡はいくつかの地点に分けて発掘されています。
近江大津宮錦織遺跡第四地点は、国指定の史跡です。
マナーは、守りましょう。
近江大津宮錦織遺跡第四地点の説明が書かれています。
大津宮は、天智天皇により667年から5年間営まれた都で、
国家としての体裁がととのう時期です。
宮は、近年の発掘作業により、錦織に所在することが分かりました。
大津宮の構造は、これまで、内裏正殿・内裏南門・回廊・塀・倉跡
等が明らかになっております。柱は基礎石を使わずに、
直接地面に穴を掘って立てる堀建柱構造です。
当場所からは、南北に延びる塀の柱三個が見つかりました。
柱の太さは直径30センチメートルで、ほぼ1.6メートル間隔に
並んでいます。ここは内裏南門の東側にあたり、この柱跡により、
ここに東西37メートル、南北42メートルの区画があったことが
推定できました。
同じ区画は前期難波宮(孝徳天皇)にもあります。
このことから、昭和62年に国の史跡として追加指定されました。
と書いてあります。
出土状況写真と、第4地点位置図
ダイブ色褪せてしまいました。。。
実測平面図の方が見やすい。
レプリカ柱は、腐り・・・小宇宙が育ちつつありました。
これからもひっそりと時を重ねることになるんでしょうね。