2015年3月5日木曜日

住吉駅 人身事故影響 JRF JR貨物 EF210 130号機 桃太郎 貨物列車 膳所駅下り待避線にて退避中




JR西日本 JR神戸線 住吉駅 人身事故影響か?

JRF JR貨物 EF210 130号機 桃太郎 F210 130号機 桃太郎
膳所駅下り待避線にて待避中でした。




膳所駅を何気に眺めていると、
貨物列車 膳所駅下り待避線にて退避中でした。


釜は、EF210 100番台 桃太郎



EF210 100番台 130号機 


UT11A-5028 ラテックス専用タンクコンテナを見つけました。


横には、UM12A-5865 無蓋コンテナ



ちなみに乗り込んだ223系2000番台 普通列車は、
竹内栖鳳PRステッカー編成でした。

2015年3月4日水曜日

京阪 石山坂本線 おーいお茶広告ラッピング2015バージョン

「伊藤園」ラッピング電車の運行 しております。
  ●運行期間  平成27年2月2日(月) ~ 平成27年4月10日(金)
  ●運行区間  石山坂本線 (石山寺 ~ 坂本間)
  ●運行車両  600形1編成 (605-606号車)




おーいお茶広告ラッピング2015バージョン



桜満開、針仕様になっております。

2015年3月3日火曜日

223系2000番台 遺産 佐渡金銀山ステッカー


223系2000番台に「遺産 佐渡金銀山ステッカー」を付けて
走っております。
なぜに新潟佐渡のPRなのかは不明ですが・・・
「日本海の楽園島」に目がいきます。





「遺産 佐渡金銀山ステッカー」
佐渡汽船のPRステッカーです。





「遺産 佐渡金銀山ステッカー」出会った時の膳所駅は・・・



案内表示が故障しておりました。。。
「調整中」の貼紙が寂しい(>_<)

2015年3月2日月曜日

京阪 石坂青春号2015ラッピング車 3月2日から運行


滋賀県 大津市石山寺―坂本間を
21駅で結ぶ京阪石山坂本線(石坂線)に、
「涙・初恋」をテーマにした21文字以内のメッセージを描いた
ラッピング電車「石坂青春号」が、3月2日から運行しています。
今年で9回目。

全国から5千点以上の応募があり、
選ばれた上位4作品をあしらったデザインを、
京都芸術デザイン専門学校の学生が考案。

ラッピングは石坂線を盛り上げようと、
市民団体「石坂線21駅の顔づくりグループ」と
「電車と青春21文字プロジェクト」が企画。
沿線に学校があり青春を思わせることから、
「電車と青春21文字メッセージ」を毎年募集しています。
ちなみに、今年で9回目です。
錦織車庫から出庫する「石坂青春号2015」



坂本方前面 C#607



「石坂青春号2015」特製 副標識



石山寺方前面 C#608



C#607 運転席付近のラッピング



C#608 運転席付近のラッピング




C#607 扉間のラッピング
「さわやか賞」受賞作品が書かれています。



連結間のラッピング



淡いピンクがベースとなっています。



京都芸術デザイン専門学校 インテリアデザインコース
の文字が・・・



協賛は、
カルピス㈱、コカ・コーラーウエスト㈱、江崎グリコ㈱、大津パルコ 


車内には、中吊り広告部分を入賞作品がつるされています。



運転席 坂本方面を眺めても同じです。
この電車が走り始めると、大津市も春なんだなァ~と思う次第です(^^)

2015年3月1日日曜日

平成27年3月27日(日) までトーマス運行





平成27年3月27日(日) までトーマス運行
逆に言うと、3月27日で運行終了です。

土・日・祝日は、トーマスの声で案内が入る
石山坂本線のトーマス電車も間もなく終了となります。



石山坂本線 700形
本線は、8000系・10000系
のとーます号は、3月27日まで・・・


石山寺駅で、特急色と並ぶトーマス号

2015年2月26日木曜日

JR西日本 223系2000番台 竹内栖鳳展PRステッカー




JR西日本 223系2000番台 竹内栖鳳展PRステッカー 



生誕150年記念 竹内栖鳳 海の見える杜美術館 PR用です。


なんでも描いた!



当時日本ではなかなか見られなかった珍しい象やライオンなどの動物から、
雀や猫などの身近な動物まで。遠いヨーロッパや中国の風景から、庭先の道具まで、
目に映るすべてを描いたといえます。

ヨーロッパを見た日本画家

36歳のときヨーロッパ各国をまわり、コローやターナーの油絵に感銘を受け、
日本画の改良点すべき点に気づきます。それはその後の栖鳳の画業ばかりでなく、
後進の画家にも影響を及ぼす出来事でした。

あふれるカリスマ!!

栖鳳にはすばらしい指導者としての一面もあります。彼のもとには上村松園、
西村五雲、小野竹喬といった、個性あふれる若手画家がたくさん集結しました。
弟子たちの取り組みを温かく見守りつつ、自身もそれに刺激を受けて
切磋琢磨したのでした。

◎竹内栖鳳の略歴◎

1864(元治元年)0歳 

京都に生まれる

京都の料亭の子として生まれます。幼名は恒吉。
小さい頃から絵の好きな子供でした。

1881(明治14年)17歳 

幸野楳嶺塾に入塾

「棲鳳」の雅号(画家としての名前)をもらい、すぐに頭角をあらわします。

1892(明治25年)28歳 

ぬえと呼ばれて

鵺とは色々な動物がミックスした妖怪。
色々な絵の流派を混ぜて描いた棲鳳の絵は、鵺のようだと批判されました。
しかし、伝統を受け継ぎながらも革新を図る棲鳳のスタイルは、
ここから始まりました。

《秋冬村家図》1897年(明治30年)33歳 

1900(明治33年)36歳 

ヨーロッパに渡る

ヨーロッパを視察し、現地の美術や風景を実際に見る機会に恵まれました。
帰国後すぐに、それまでの日本には見られなかったようなライオンや
西洋風景を描き、大きな話題となりました。

1903(明治36年)39歳 

渡欧の成果、《羅馬之図》

やわらかな光線、湿気を含んだ空気。
それまでの日本画とはたしかに違う作品《羅馬之図》。
3年前の渡欧で見た景色、美術がそこに活かされています。

1920(大正9年)56歳 中国

日本画の源流である中国絵画を育んだ自然や風物を見るため、中国大陸へ。

《小春》1927年(昭和2年)63歳

《家兎》1934年(昭和9年)70歳

1937(昭和12年)73歳 

文化勲章受章

横山大観らとともに第一回文化勲章受章。

《二龍争珠》 1940年(昭和15年)76歳

1942(昭和17年)78歳 永 眠

体調を崩しながらも絵を描く日々。
1942年8月23日、生涯を終えました。

http://www.umam.jp/seiho/  より引用しました。

EF66 52号機 膳所下り待避線で退避



今朝、通勤途中
JR西日本 膳所駅 膳所下り待避線にて
ゼロロク EF66 52号機牽引の下り貨物列車が、
退避しておりました。


膳所下り待避線に ゼロロク EF66 52号機が退避しておりました。


次位に連結されているコンテナで顔は、見えなかった。。。


上り線ホーム端から 側面ナンバーを撮ってみました。


直流直巻整流子電動機MT56
(85%界磁時の端子電圧750V時1時間定格出力650kW、定格回転数1,200rpm)
を6基搭載する足回り。


日揮触媒化成㈱ UT5E-52(UT5E)タンクコンテナ

カタロイドは旧触媒化成工業の水系シリカゾルで、
触媒担体、各種バインダー、研磨材料に使われる。